自分たちの主張を叫ぶた為だけでなく、同じ世界で生きている、まだ会ったことの無い人たちの悲しみや苦痛、怒りへの想像力を失わない為に、遠い場所での出来事と今の自分の生活がどこかで繋がっているのだという、その感覚を他の誰かと共にするために、デモに行く人たちがいてもいいと思う。
デモは、彼方から届く声に耳をそばだて、それらが切迫していると感じたその時に、黙って聞いていたテレビニュースのスイッチを切り、家を出て、路上へと集まり、そこに居合わせた人たちと膝を突き合わせて、共に考え、その声を自ら発し始めるところから始まる。
一回のデモが何かを劇的に変化させるとするならば、それはその場所にいる自分自身なのかもしれない。それは、遠い出来事として無視してきた、もしくは、気がつかないままにしておいた問題を再び自分に突きつける。デモは単なるアジテーションでも、その問題解決の手段でもない。デモが作り出すものは、人と人の顔が空の下で再び出会い、今、緊急に話されなければならないことを、皆が自分の声で話し始める瞬間に立ち現れる、「直接民主主義の空間」の一つ姿なのだと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿