今、エジプトで起こっていることが、動乱や反政府運動、無秩序なんかではなくて、疑うまでもなく「革命」であって、それも権力の奪取ではなく、権力の無化と、相互扶助相互平等を原理とした新しい世界を作り出す創造と実験の場であることを教えてくれる記事を「イルコモンズのふた」で見つけたので、翻訳してみました。
The UNITED republic of Tahrir
「タハリール連合共和国」(Sunday, February 06, 2011)
Text by Sina
抗議デモの最初の週の間、私はタハリール広場には一回訪れただけであった。その時は、本当にデモの雰囲気に包まれていて、まだ新しく、出来たばかりの、そして、実際どのような目的も持っていない場所であった。今日、私はひとつの素晴らしい変化を目撃するためにタリハール広場に戻った。その場所は、デモの場であることを止めて、ほとんど一つの生活様式の場となっていた。そこにいる人々は、彼ら自身のことをエジプト人とだけではなく、Tahririans(タハリール人)とも呼ぶことができた。なぜなら、そこに始めからいた人々は、これまでと完全に異なる人々になっていたのだ。けれども、まずは私に事の始めから話をさせてほしい。
私たちはカスル•エル•ニール橋を経由してタリハール広場へ向かったが、橋の終わりのところで2台の戦車が道を塞いでおり、その前には辛抱強く待っている人々が列をなして立っていて、その列内で人々は広場に入ることができるかどうかの身体検査を受けていた。入り口には2つの区画が設けられ、一つは女性用、もう一つは男性用であった。私は女性用の区画を通っていった。そこには笑顔の若い女性のグループがいて、私のバックと体を手で検査しているあいだ、ずっとジョークを言い合っていた。私自身は、過度の身体的接触を好まないタイプの人間なので、それは最もひどい悪夢のようでもあった。けれども、私はそれで不愉快な思いはしなかった、なぜなら検査をする女性は親切で丁寧な物腰で話しかけてくれ、安心できるように落ちつかせてくれたからだ。そして、2,3ヶ所のこのような愛想の良いチェックポイントを抜けると、私たちは広場の中にいた。私たちが入りこむや否や、私たちは歌の歓迎パーティの出迎えを受けた、「Ahlan Ahlan Bel Zowaar(訪問者のみなさん、ようこそ)」。タリハールにこの13日間居続けた人々は、この場所に来る、または出て行く人たち、つまり、タリハール共和国の旅行者たちを迎える役目を自ら引き受けたのだ。人々のグループは、あちらこちらに散らばっていて、そのいくつかはとても大きなもので、そのほかは数人規模のものであった。けれどもその全てが、共同戦線を張り、体制を引き倒そうと恊働していた。他の人達が、国家を歌ったり、「体制を倒せ」というスローガンをコールしている一方で、ある人たちは一晩中徹夜したり、休んだり、眠っていたりしていた。あらゆる場所に女性たちと子供たちがいて、何人かの子供たちはまだ生まれて間もない子たちだったが、彼らの両親達は、この子たちは彼らの国の歴史の一部でもあるべきだ、と考えていた。他の女性達がデモからは完全に切り離されていたのに対して、ここでは何人かの女性達がシュプレヒコールをリードしていた。時々、有名人達が通り過ぎるのだが、たいていは彼らと一緒に歩いている人々の輪の中で指摘されてそうだとわかった。この輪が動きだすとすぐ、人々は隣の人にあの人物は誰であったのかを尋ねるのだが、だいたいは正しい答えがかえってきた。けれども、誰もこの有名人達をを追い回したりはしなかった、彼らは快く迎えられるが、それは懸賞商品を受け取るようにではない。タリハール共和国においては、市民こそが、最も高貴な有名人なのだ。私は、この私の家族たち(my people)が、この全ての腐敗と、ひどい教育制度と経済的な問題にも関わらず、こんなにも聡明であるということにとても驚いた。たとえ、文字が読めないエジプト人であっても、かれらは聡明で十分に教養を持っているのだ。1月25日以前には、私はこの事実を知らなかったのだ。
キリスト教徒の礼拝が始まってしばらく後、広場を取り囲む巨大なスピーカーが、賛美歌の指揮者の歌声を繰り返し反響させていた。ある人たちはキリスト教の祈りの言葉をよく知らなかったが、すぐに彼らはそれを理解した。キリスト教徒たちがイエスと彼の人々への深い哀れみについての短い引用を繰り返し唱えている時、イスラム教徒もキリスト教徒も共に並んで立ちあがっていた、国民的団結がひとつの頂点に達したのだ。彼らが歌い、祈っている間、旗が振られ、彼らがなぜ今この場所にいるのかを思い起こさせていた。ミサは終わったが、もう一つのミサが数時間の内に予定されていた。けれども、20分かその後あたりに、誰かが「今度はイスラム教徒たちの時間だ」と大声で叫び始めた。すぐさま、男性も女性もメッカの方角へと並ぶ完璧な列を作り上げ、広場にいるすべてのイスラム教徒たちが同時に祈り始め、その間、キリスト教徒達は彼らをじっと見守り、そして広場全体が静寂に包まれたのだった。この出来事は、宗教がタハリール広場の生活の大きな部分を占めることを示すものであったが、それでもこの広場での生活の決定的な部分というわけではなかった。アートは、タハリール広場での生活のもう一つの要素である。いくつかのテントは「自分たちは、歌い手や詩人といった創造的な人たちを歓迎する」と書いたサインやビラを張りつけていた。他の人達は、過去数日の血なまぐさい戦闘で使われた石を集めて、代わりにそれらを使って地面に、アートや政治的メッセージを作り出していた。また他の人々は政治家達の風刺絵を描いたり、さらには人形に仕立て上げて、街灯から吊り下げて、一つの時代の終わりを表現していた。
ここ、タハリール広場では、あなたが言わなければならないことは何であれ、耳を傾けてもらえるし、それが何の話題であってもかまわない。あなたは、隣に立っている人の肩を気軽にたたき、あなたの心の中にあるどんな事についても話すことができる。あなたは、メモ帳や準備されたスピーチを用意する必要などないし、ただ一文、一言であっても十分なのだ。一方、もしあなたがお腹がすいたり、喉が乾いたりすれば、ここには、ひもじいタハリール人たちの為に歩き回っている、大勢の食事と飲み物を売る売り子たちが大勢いるのだ。結論として、タハリールは、全エジプトの為の一つの可能な生き方について明るい前途を示す、ミニチュア版エジプト共和国へと生まれ変わった。そして、これは真実なのだ。これからしばらく後、Tahririans(タハリール人)が Tahririansであること止め、単にエジプト人であることへと戻るだろう。しかしながら、彼らが作り上げ、守り通したこのモデルは、私たちにエジプトがただ先進国への道へと首尾よく進んでいくのではなく、自発的な快活さを持って、互いに助け合うことのできる、畏敬の念に満ちた国となれることを教えてくれるのだ。だからこそ、タハリール連合共和国よ、永遠に!もしそれが永遠に現存しなくとも、そのときは、私たち自身の心の内に永遠にあり続けますように。
(訳:江上賢一郎)
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