2010/06/29

I am REFUGEE...I am not CRIMINAL

 社会問題への積極的に関わりを通して、社会と映像との関わりを探求している「行動する美術家」、藤井光の新しい仕事。
 I am REFUGEE...I am not CRIMINAL

2010年6月20日(日)世界難民デーの日に『かぞくをかえして! ともだちをかえして! 入管の人権侵害に反対するデモ』が東京・渋谷で行われた。

日 本は移民・難民行政についてとても大きな問題をかかえています。ほとんどすべての難
民申請は、たいした審査もなしに却下されます。さらには入国 管理局が、難民申請中の人でさえおかまいなしに恣意的な収容を行います。ひとたび収容されれば、人権がまったく配慮されない環境のな かに、何ヶ月でも何年でも監禁され続けるでしょう。職業などを求めてやってくる難民以外の外国人も、同じようにあつかわれます。出身国での迫害 から逃げてきた難民には、帰る場所などありません。また、たとえ難民の場合でなくとも、非人道的な収容環境それ自体が大きな問題で す。収容のあいだに心身の健康を損ない、けがをし、ときには命を失うことすらあるのです。

SYI(Immigration Detainee's Friends 収容者友人有志一同)
http://pinkydra.exblog.jp/12726896/

2010/06/20

ガザ自由船団”マビ・マルマラ”号に対するイスラエル軍の攻撃の目撃者

マビ・マルマラに対するイスラエル軍の攻撃の目撃者
ThisCantBeHappening原文
2010年6月15日(火)


益岡賢のページより

ブリティッシュコロンビア州ビクトリアのケビン・ネイシュは、イスタンブールからオタワへ向かう飛行機に乗り込もうとするときまで自分が有名人になったこ とを知らなかった。「美しい服を着たアラブ人女性が私のところに駆け寄ってきて叫んだのです。『あなただ! アラブのTVで見ました! 誰もが知っていま す!』」。ネイシュはそのときのことを笑い声で説明する。「何を話しているかわかりませんでしたが、彼女は『イスラエル奇襲部隊の本を眺めているあなたを 見ました! 何度も何度も放送されました!』と言ったのです」。

落ち着いた口調の教師で、カナダ国防省の文民技師をしていたこともあるネイシュは、それでようやく、ガザへ向かう自由船団をイスラエル軍が攻撃している最 中にブックレットを眺めている彼の姿をアラブのTVカメラマンが撮影し、その映像が、船団からの電子信号をイスラエルが妨害する前に、外部に送信されてい たことを知った。そのブックレットは、乗っていた人々全員の写真と経歴を掲載したもので、ネイシュがイスラエル軍奇襲部隊兵士のバックパックの中から見つ けたものだった。

5月 31日の早朝まだ暗い中、イスラエル軍が着発手榴弾と催涙ガス、銃弾の雨により自由船団の主船、トルコ船籍のマビ・マルマラ号に攻撃を仕掛けてきたとき、 53歳のネイシュは、マビ・マルマラ号の第2デッキ----船尾が見渡せるところだった----に乗っていた。彼は第4デッキの吹き抜けに移動し、犠牲者 が即席の診療場所に運び込まれる光景を目にしながら写真を撮っていた。乗客と乗員に拘束されたイスラエル軍奇襲部隊員数人も彼の横を運ばれていった。

「人々がこのイスラエル軍兵士を下に連れていくのを目にしました」と彼は言う。「兵士はおびえていました。殺されると思っているような様子でした。IDF の発砲で乗客が重傷を負ったのを目撃し、頭に来た大柄なトルコ人がこの兵士を殴ろうとしたとき、トルコ人救援隊員たちが彼を押し止めて壁に押さえつけたの です。イスラエル軍兵士の命を守ったのです」。

この兵士が落としたバックパックにネイシュが気づいたのはそのときだった。「中を見て、何を持っているのか調べようと思いました」とネイシュは話す。「中 にはこのブックレットのようなものが入っていました。英語とヘブライ語で船団の全船に乗っている人の写真と名前が書いてあったのです。さらに、マビ・マル マラ号のデッキを詳しく描いた図もありました」。

そうしているうちに、イスラエル軍の攻撃で撃たれた人々、死にかけている人々、すでに死んだ人々が上から次々と階段を運ばれてきた。「自分のカメラで死者 と負傷者の写真を丁寧に撮りました」と彼は言う。「側頭部に二つの弾痕がきれいに並んで開いた状態の遺体が数体ありました----彼らが処刑されたことは 明らかでした」。

ネイシュは船上で拘束され、数日間イスラエルで投獄されていたが、写真をイスラエルからトルコに持ち出すことに成功した。「メモリーカードを取り出してか ら、カメラをはじめ電気電子製品はすべてイスラエル軍に渡しました。チップはあちこち場所を変えて隠し、見つからないようにしました」と彼は言う。「イス ラエル軍はカメラとコンピュータをすべて没収しました。一部は叩き壊され、一部は持ち去られました。私はチップを舌の裏にかくしたり、尻の割れ目や靴下な ど、色々なところに隠して見つからないようにしたのです」。結局、ネイシュは、トルコ航空で帰国することになったトルコ人にチップを渡すことができた。メ モリーカードは「自由ガザ」という組織の手に渡り、写真の一部が公開されたことを確認したという。つまり、写真をうまく持ち出すことができたことがわかっ たのである。

イスラエル軍奇襲部隊は武器としてペイントガンと9ミリピストルしか持っていなかったというイスラエルの主張は「まったくでたらめだ」とネイシュは言う。 「階段の吹き抜けにいたとき、奇襲部隊兵士が上のハッチを持ち上げて機関銃を突っ込み、撃ち始めました。銃弾が一面に跳ね返りました。兵士が覗き込んで中 を確認していたら、私の命はなかったでしょう。けれども吹き抜けにいたトルコ人2人がハッチの脇に立ち、救命ボートのアクセスポイントから持ってきた短い 鎖を機関銃の銃身に叩きつけたのです。兵士を叩こうとしたのか機関銃を取ろうとしたのかはわかりませんが、イスラエル軍兵士が身を引いたので、ハッチを閉 じて鍵を締めたのです」。

「ペイントガンなんか一つも見ませんでした。ペイントボールもどこにもありませんでした」。

乗客の中で銃を持っていた人も1人も見なかったと彼は言う。「私はずっと船の中にいましたが、乗員や援助職員が武器を持っていたことはまったくありませ ん」。実は、ネイシュは当初、チャレンジャーIIという名の、より小さな70フィートのヨットに乗っていたのだが、キプロスに立ち寄ったときにマビ・マル マラに移った経緯があった。イスラエルの工作員がチャレンジャーIIに細工をしたため(イスラエル政府はのちにこれを認めた)、チャレンジャーIIが操縦 不能になったためであった。「マビ・マルマラに乗るときには身体検査を受けましたし、武器がないかどうか手荷物も調べられました」。「私は技師ですので、 ポケットナイフを持っていましたが、検査員はそれを取り上げ、海に投げ込みました。今回の航海では乗客はどんな武器を持つことも認められなかったのです。 この点については細心の注意を払っていました」。

イスラエル軍の攻撃の際に彼が目にしたのは弾傷だった。「殺された数人をこの目で見ましたし、数十人のけが人も見ました。胸に大きな穴を開けた年嵩の人が 壁にもたれていました。私が写真を撮っている間に彼は死にました」。

殺されたことが確認されている9人のほとんどを自分の目で見ているし、負傷者40人の大部分も見たとネイシュは言う。「それほど重い怪我ではないけが人 は、さらにたくさんいました。イスラエルの監獄で、ナイフ傷を負ったり骨を折っていた人々に会いました。中には、連れ出されて一人になるのがいやで、怪我 を隠している人々もいました」。「当初、乗っていた人々のうち16人が殺されたという報道がありました。船の診療所は16人と言っていました。海に投げ捨 てられた遺体がある恐れもあります。けれども、今では、行方のわからない7人については、家族からも何の連絡もないので、イスラエルのスパイではなかった かと人々は思い始めています」。

イスラエル軍はマビ・マルマラを制圧したのち、乗客と乗員を集めて、男たちをデッキの一カ所に、女たちを別の場所に集めた。 男たちは座るよう命令され、プラスチックの手錠を掛けられた。ネイシュによると、あまりにきつく縛られたので、手首が切れ、手は紫に腫れ上がったという (それにより彼の手の神経は今も傷ついているが、カナダの医師は、少しずつそのまま回復するだろうと言っている)。

「兵士は私たちに黙るよう言いました」。「ところが、途中でトルコ人のイマームが立ち上がり、 アザーンを歌い始めたのです。誰もが静まり返っていました----イスラエル兵もです。けれども、10秒くらいして、イスラエル軍士官が、座っている人を 踏みつけて走り寄り、ピストルを取り出してイマームの頭に突きつけ、英語で「黙れ!」と叫んだのです。イマームは彼をまっすぐ見つめて歌い続けました!  ジーザス、彼は殺される、と思いました。それから、たぶんここにいるのも何かの縁だろうと思って、私は立ち上がりました。くだんの士官は振り向いて、今度 は私の頭に銃を突きつけました。そのときイマームは歌を終えて座り、私も座ったのです」。

イスラエル軍に乗っ取られた船団がイスラエルの港アシュドットに向かう中、捕虜にされた人々には食事も水も与えられなかった。「与えられたものといえば、 船倉からイスラエル軍が盗み出したチョコレートバーだけでした」とネイシュは言う。「トイレに行くために懇願しなくてはならず、ズボンに出さざるを得な かった人もたくさんいました」。

イスラエルの監獄に移されてからも、状況はさほど改善されなかった。ネイシュと、一緒に捕虜になった人々は、半日以上何も食べていなかったが、凍ったパン の塊とキュウリを投げ込まれただけだという。

2日目に、カナダ大使館の職員がやってきて、ネイシュの名前を呼んだ。「監房を一つ一つ回って私を探していたのです」とネイシュは話す。「娘がカナダ政府 に、私が船団に乗っていたことを必死になって訴えていました。イスラエルは、私の名前を把握してどこにいるかも知っていたのですが、カナダ大使館の職員に 教えなかったのです。大使館職員も、そして娘も、私が殺されたと思っていたようです。最初に攻撃された場所の近くにいたという話が伝わっていたためです。 よかったことといえば、私の名前を呼んで回っているときに、大使館職員は、偶然、そこにいることを把握していなかったアラブ生まれのカナダ人2人を見つけ 出すことができたことです」。

「職員がついに私の監房にやってきたので、私は返事をしました。『ケビンですか? 死んだと聞いていたのですが』と職員は言いました」。

数日間拘束されたのち、今度は大慌てで全員がベングリオン空港に移され、トルコ行きの飛行機に乗せられた。「イスラエルの弁護士たちが、公海上で私たちを 拘留したのは不法であると私たちのケースを最高裁に訴えていたことがわかりました。最高裁がイスラエル軍に、私たちを船に戻して船を行かせるよう命ずる可 能性があったので、イスラエル政府は私たちをすぐにイスラエルから追い出して訴えの意味をなくそうとしたのです。けれども、おそらくはモサド(イスラエル の諜報機関)にだと思いますが、連れ去られた人が2人いました。ですから、私たちは『2人を戻すまでは私たちもここを動かない』と言ったのです」。

2人は戻され、他の人々と一緒にイスラエル国外に出ることを許された。

「正直、イスラエル軍が船に乗り込んでくるとはまったく思っていませんでした」とネイシュは話す。「ガザに行けると思っていたのです。自由ガザ運動の一環 でしたし、運動はこれまでも何度か援助を試み、うまくいったり妨害されたりしましたが、今回は大船団でした。止められて捜索を受けるかもしれないとは思っ ていました。最初に乗っていたチャレンジャーII号には、ドイツの国会議員3人とアン・ライト中佐というお偉方、それに私が乗っていただけです」。

イスラエルの監獄にいたとき、おそらくはイラクやアフガニスタンで軍務に就いている多くの米兵よりもたくさんの死者と惨劇を目撃しただろうネイシュは、暴 力の記憶に耐えられなくなった。「取り乱して、泣き出しました」。「体の大きなトルコ人がやってきて、『どうした?』と聞いてきました。『16人もが殺さ れたんだ』と答えました」。

「『すばらしい大義のために命を落としたんだ。満足しているに違いない。あなたは戻ったら、見たことを伝えればよい』。彼はこう言ったのです」。

【元記事の独立系サイトでは運営資金の援助も募集しています。http://www.thiscantbehappening.net/supportus

2010/06/18

urban potlatch workshop 02 @ art space tetra


urban potlatch workshop 02 2010.06.25 (Fri)

“How to hack our city?”

ファシリテーター:江上賢一郎

時 間 2010年6月25日(金曜)20:00-22:00

場所 art space tetra 〒812-0028 福岡市博多区須崎町 2-15

*参加費 500円(ワンドリンク付き)
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自分たちが住む街で,一体どのような表現や生活のスタイルが作り出せるのだろう?

近年、世界中の様々な都市のストリートで表現や創造活動を行うアーティスト達が出現してきています。彼らの表現の関心は、ホワイトキューブの中ではなく、 社会的な構造と問題が直截的に表出する都市空間そのものにあります。ストリートアートと呼ばれるその表現の多くは、都市空間の持つ社会性に注意を払い、そ の場所の経済的、政治的なコードを読み込んだ上で、それらを撹乱し、乗っ取り、新しい空間や他者との関係を切り開いていこうとしています。

また、このような表現活動は同時に、自分たちの表現の場と生活の場を密接に結び直し、自分たちの生活そのものを、表現を通じて変化させていくという側面も 持っています。

今回のurban potlatchでは、昨年11月に京都でN.YのグラフティアーティストGRLが来日した際に開かれたGRL KYOTOのワークショップや、京都で新しい表現と生活の方法を共同的に実践しているhanareの活動に触れた経験をもとに、都市の中で誰でもできる表 現活動や生活のアイデアを生み出し続けている彼らの活動を紹介する同時に、その実践や、さらなるアイデアについて一緒に考えて行きたいと思います。

GRL (N.Y)  http://graffitiresearchlab.com/
hanare (京都) http://hanareproject.net/

内容についてのお問い合わせ
メールアドレス:u.potlatch@gmail.com (江上)

*プロフィール
江上 賢一郎 (Egami Kenichiro) 2009年 ロンドン大学ゴールドスミス校 文化人類学修士課程修了  現在 福岡在住



2010/06/13

Don't Get Caught in a Bad Hotel

サンフランシスコで、ホテルの従業員とアクティヴィスト達が5月に行った、悪徳ホテルをボイコットしよう!というフラッシュモブ。労働者に不利な雇用契約の改善と雇用者とその家族への健康保険の適用を認めさせる労働争議の中で、自分たちの働いているホテルのボイコットを呼びかけている。
Don't Get Caught in a Bad Hotel
 Youtubeの解説より
A flashmob infiltrates the Westin St. Francis hotel in San Francisco and performs an adaptation of Lady Gaga's song "Bad Romance." The event was organized to draw attention to a boycott called by the workers of the hotel who are fighting to win a fair contract and affordable healthcare. Lesbian Gay Bisexual Transgender Queer activists put the song and dance together as a creative way to tell the hundreds of thousands of LGBTQ people from all over the country coming to San Francsico in June for Pride to stay out of the boycotted hotels.
 <訳>
サンフランシスコのthe Westin St. Francis ホテル内で行われたフラッシュモブ。Lady Gagaの "Bad Romance"を脚色したこのパフオーマンスは、公正な労働契約と健康保険への加入を求め続けているこのホテルの従業員達を支援する目的で行われた。彼らは、自分たちが働くホテルへの宿泊ボイコット運動を呼びかけている。
 そして、サンフランシスコのレズビアン、ゲイ、バイセクシャルそしてトランスジェンダーの活動家達が、ホテル内で音楽を演奏し、従業員達と一緒に踊り、創造的な仕方でこの問題を6月のPrideの為にサンフランシスコに全米中から訪れるLGBTQの人々へ伝えた。

ブラスバンドの人たちは、サンフランシスコのポリティカル マーチバンド
The Brass Liberation Orchestra
 
http://brassliberation.org 

To learn more about how to honor the boycott and support the workers visit:
http://www.sleepwiththerightpeople.org
http://www.hotelworkersrising.org/Hot...

this event was organized by:
San Francsico Pride at Work / HAVOQ http://www.sfprideatwork.org
One Struggle One Fight http://tinyurl.com/OSOFfbpage

2010/06/06

人々の歌

アメリカのフォーク歌手で社会運動家でもある、Pete Seegerが記録した、ガーナの漁村での労働歌。 かつて、資本主義によって人々の生産活動が計算可能な管理の対象となる以前には、あらゆる労働には歌とリズムが共に寄り添っていたのだろうと思う。

Singing Fisherman of GhanaPete Seeger自身は、その生涯を通じて、反戦運動、公民権運動に関わり、フォークリバイバル運動を通じて多くの歌を残している。おそらく、一番良く知られているのは彼が公民権運動の象徴歌として広めた「We Shall Overcome」だろう。

Pete Seeger - We shall overcome 

彼の歌う組合歌もいい。

Solidarity Forever (Pete Seeger)

Pete seeger which side are you on 

WikipediaPete Seegerより抜粋 

この都市部におけるフォーク・リバイバルは、1930年代〜1940年代の政治活動の伝統を受け継ぐものであり、伝統的な曲や詞を下敷きにして、社会変革 に影響を与えようとしたPeople's Songsの取り組みを受け継ぐものであった。このような実践は、さらに遡れば、スウェーデン生まれの組合活動家ジョー・ヒル(Joe Hill, 1879-1915)が編纂した、世界産業労働組合(the Industrial Workers of the World:その組合員は「Wobbly」と通称される)の『Little Red Songbook』にまで行き当たる。ウディ・ ガスリーは『Little Red Songbook』がお気に入りで、常に持ち歩いていた。

Aakash Nihalani

New York,Brooklyn在住のストリートアーティスト Aakash Nihalaniのアートワーク。歩道や壁にビニルテープで、三次元の図形を描くというシンプルな手法だが、街の中で出会ったものに即座に反応して、手を動 かし、ものの数分でストリートに浮かぶ不可思議な幾何学を作り出していく。 この幾何学模様の花々は、都市の無定形で、不規則で、変化し続ける状況の傍らで慎ましく咲いているように見える。ストリートをスタジオとして、そして展示の場として使いこなす都市生活芸術家の技術。

http://aakashnihalani.com/

Aakash Nihalani's STOP POP & ROLL  実際の制作風景はこちらから。Aakash Nihalani: Cuban (Street Art)


2010/06/05

自発的ミュージカル

ニューヨークを中心として、様々な公共スペースで、演劇的手法を用いながらその場にいる人たちをアクションやパフオーマンスに巻き込む愉快なアイデアを実践しているグループ、Improve Everywhere。彼らがここ数年の間で有名になるきっかけとなった「Spontaneous Musicals(自発的ミュージカル)」というパフオーマンスがある。

普段は特にアートや演劇、音楽といった文化的活動の場所から離れていると思われている場所、スーパーマーケットやフードコートなどで、突然音楽が鳴り響き、いままで隣で座っていた人たちがミュージカルを始めるというものだ。別に歌っている内容は、レモネードこぼしたから紙をちょうだい、とか、昼ご飯大好きといったものだけど、予期せぬ場所から歌や踊りが生まれてくることの新鮮さ、異なる職業や立場の人間が集まって一緒に歌うことへ共感と同時に、その場所のもつ隠れた政治性も同時にあぶり出してみせる。

実際は、数週間かけてスタジオで練習してからなので、いろいろと練られたプロジェクトであるが、その用意周到さと、それを突然街の中で繰り広げるという手法もいい。このグループのオーガナイザーの一人である、Charlie Toddは演劇出身の劇作家。劇場という箱を抜けでて、前衛の特異性を超えた場所に、誰でもが参加できる集団的表現を生み出している。


I Love Lunch! The Musical

下のSpontaneous Musicalが個人的には一番お気に入り。
Food Court Musical

他のミュージカルやプロジェクトはここから Spontaneous Musicals

2010/06/04

転送:イスラエルによる公海上での海賊行為、虐殺ーー自由船団への攻撃

イスラエルによる公海上での海賊行為、虐殺ーー自由船団への攻撃 パレスチナ情報センターより

Posted by:パレスチナ情報センタースタッフ

5月31日、封鎖されたガザに向けて支援物資を運ぶ「ガザ自由船団」の船がガザ沖の公海上で、イスラエル軍に急襲され、数十人が殺傷されるという事件が起きました(イスラエル政府は殺した人数を9名と1日に発表。負傷者は30人程度。ただし、氏名等は明らかになっていません【追加】非公式ですが、ハイファの病院が死者数は25〜26人と出したとイスラエル人が情報をくれました。確認はとれていません)。

襲われた船団は、「フリー・ガザ・ムーブメント」が主にトルコの団体と人道的支援として組織し、1万トンの支援物資と、政治家や元軍人などを含む50カ国 700人ほどの活動家、ボランティアを載せて、封鎖で苦しむガザに向かっているところでした。支援物資の中身は、主に浄水装置や建設資材、それに教育資材などで構成されていました。

船団はイスラエル特殊部隊による急襲を受けて、死傷者を出し、イスラエル海軍に拿捕されて、イスラエルのアシュドット港へ乗員もろとも連れ去られました。乗員は港に設けられたテントで取り調べを受け、強制送還か、収監の措置を受けているようです(イスラエル当局が明らかにしないため、詳細は不明)。

イスラエルは船団が「国にとっての脅威だった」と弁明していますが、公海上で国際法に反し、襲撃、殺人を行ったことへの反応は大きく、31日にはトルコの各都市、スウェーデン、フランス、イタリア、エジプト、ギリシャ、ガザなどで何千人規模の抗議が行われています。イスラエル国内でもテル・アビブで 2000名が抗議を行いました(西岸のカランディア検問所で行われた抗議デモでは、米国人女性がイスラエル軍の催涙弾を片目に受けて、目を摘出するという重傷を負っています)。

国際社会での動きも早く、EUがこの事件に対する対応会議を開き、トルコ政府は「この事件は国家テロリズムだ」とし、イスラエルからの大使引き揚げを決めました。

また、トルコ、パレスチナ、レバノンによる要請を受けて、国連安保理が緊急に開かれ、1日に声明が発表されています。それには、死傷者を出したことに対する非難とともに、船と乗員を即刻解放し、積荷を目的地(ガザ)へ届けること、事件の完全な調査を行うことが盛り込まれています。

イスラエル政府は言い逃れをしていますが、イスラエル内からも作戦の失敗だったという声が新聞紙上を通じて出始めました。

船団にはアルジャジーラTVのほか、トルコのテレビ局クルーや、南アフリカのジャーナリストが乗船し、急襲の映像を記録していました。そのときの映像:


イスラエル兵が自由船団の船に乗り込んだ瞬間


より詳しい情報は、ここで。
パレスチナアーカイブス

ネット上で、アメリカ人の地理学者とマルクスを読む

アメリカのマルキスト都市社会学者/地理学者、デヴィッド・ハーヴェイがオンライン上で、マルクスの資本論を読むという講座を開いています。英語でのレクチャーですが、 こういう授業がネット上で見ることができるのは、とてもいいと思う。

Reading Marx’s Capital with David Harvey

 

書評!!デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』+ヨアヒム・ヒ ルシュ『国民的競争国家』

Posse member's blog より 引用

まず、デヴィッド・ハーヴェイの『新自由主義』(渡辺治監訳、作品社)。新自由主義(ネオリベラリズム。ネオ リベと略されることもある)といえば、グローバリゼーションによって企業間の競争が厳しくなったので、国際競争力を維持するために規制緩和や法人税削減= 財政コスト削減(要するに、教育、医療、社会保障にかけるお金を減らす)をどんどん進めていくべきだ、という考え方や政策のことを指すと考えられている。 これはこれで間違いではない。けれども、本書においては、もっと広い視野からこの「新自由主義」が捉え直されている。ハーヴェイにおいては、新自由主義と はたんなるイデオロギーや政策ではなく、「階級権力再生」ための政治経済プロジェクトでもあるからだ。

この「階級権力の再生」とは何を意味するのだろうか。要するにこういうことである。第二次世界大戦後の資本主義はかつてないほど安定した繁栄を享受し た。「安定した」というのは、このころの資本主義国家は一定の財の再分配を行い、需要を創り出すとともに、社会的統合をはかっていたからだ。これは自然に そうなったというわけではなく、国際的にはソ連が存在し、国内には強力な労働運動があるという状況のなかで、資本の側が妥協を強いられたという側面をもっ ていた。経済成長が続いているときはそれでも資本の儲けは増えていったのでよかったが、60年代後半から経済成長にかげりがみえるようになると、儲けが増 えなくなり、資本や政治エリートは再び自分たちの儲けを増やす策にでた。それが「新自由主義」なのである。つまり、「新自由主義」とは低成長の時代におい て、これまで行っていた一定の再分配を行うシステムを破壊し、富を再び資本=金持ちのほうへと移転させるためのプロジェクトだったというわけだ。これを ハーヴェイは「階級権力の再生」と呼んだのである。よく「国際競争力」のためには新自由主義的な政策もやむなしということが言われるが、ハーヴェイの示す データによれば、新自由主義が本格化した70年代以降、世界レベルでの成長率は実は一貫して低下し続けており、現実に進んだのは格差の拡大、すなわち多く の低所得者から少数の大企業および高所得者への富の移転なのである。

2010/06/02

その日、自分は何をしていたのだろう?

先週の日曜日に東京で、民主党のアメリカ軍基地の辺野古案の承諾に対する反対デモが新宿で行われた時の映像が届きました。

自分たちの主張を叫ぶた為だけでなく、同じ世界で生きている、まだ会ったことの無い人たちの悲しみや苦痛、怒りへの想像力を失わない為に、遠い場所での出来事と今の自分の生活がどこかで繋がっているのだという、その感覚を他の誰かと共にするために、デモに行く人たちがいてもいいと思う。

デモは、彼方から届く声に耳をそばだて、それらが切迫していると感じたその時に、黙って聞いていたテレビニュースのスイッチを切り、家を出て、路上へと集まり、そこに居合わせた人たちと膝を突き合わせて、共に考え、その声を自ら発し始めるところから始まる。

一回のデモが何かを劇的に変化させるとするならば、それはその場所にいる自分自身なのかもしれない。それは、遠い出来事として無視してきた、もしくは、気がつかないままにしておいた問題を再び自分に突きつける。デモは単なるアジテーションでも、その問題解決の手段でもない。デモが作り出すものは、人と人の顔が空の下で再び出会い、今、緊急に話されなければならないことを、皆が自分の声で話し始める瞬間に立ち現れる、「直接民主主義の空間」の一つ姿なのだと思う。

沖縄を裏切るな!新宿ど真ん中デモ/2010年5月30日 

あのとき、あなたはなに をしてたの?

 ほかにあともうひとつ考えることがある。それは、自分が今度また沖縄に行ったとき、あるいは、沖縄の知り合いと会った時、「ところで、共同声明や政府案に 辺野古の名前が記されたとき、あなたはどこでなにしてたの?」ときかれたら...ということである。自分を行動や表現にかきてたてるのはいつも、こうした 想像の問いかけである。いや、強迫観念といってもいいかもしれない。いまここで何もしないでいたら、顔をあわせられない人たちがいる、もうしわけの立たな い人たちがいる。こと沖縄の場合、想像ではなく、ほんとうにいる。だからデモに行く。義理や私情に流されていると云われても仕方ないが、ヒトにはジュゴン やヤンバルにはない人間の義理というものがあり、それがヒトを人間という存在にし、その交換とつながりが人間の社会をつくっているのだから、やはりそれを 「裏切る」わけにはいかないのである。

「イルコモンズのふた」より抜粋

宮下公園についての覚え書き


CNV000018, originally uploaded by morinohito68.
5月18日に、宮下公園を訪れた時の写真です via Flickr

この日は、ドラムサークルのワークショップや、公園でのレイブパーティが行われていて、多くの人たち、そして子供たちも!が訪れていてとても賑わっていました。

公園を占拠していると、親子連れの人たちが自由に遊べないという声もよくネット上で目にします。もちろん、普段の宮下公園は、渋谷の喧噪に比べて、引きこもったような印象もあり、野宿の人たちのテント小屋や今のレジデンスのテントに違和感を覚える人たちも多いのでしょう。

けれども、このような問いは、「野宿=怖い、汚い、犯罪」、「政治運動をしている=怪しい、怖い」といった歪曲化され、単純化されたイメージを他者に投影しつつ、同時に「小汚い野宿者や今の社会に対して声を発する人々がきれいさっぱり存在していない、きれいなナイキ公園」というもう一つの巨大企業の衛生主義的イメージが今まさに、重層的で、複雑で、けっして「きれいではない」宮下の現実を塗り替え、隠蔽しようとする動きに対しては驚くほど無感覚です。

確かに、公園をある種の占拠状態にしていることは、事実であり、それに伴う運動者自身の占有の問題は、「公園は誰のものか」という問いを運動者自信に突き返しています。

そして、この問いに答えることは、とても困難を伴うものです。

ただ、今僕が一つ言えるのは、「公園」は決してきれいな設備や充実した施設と言った、「ハード」ではないのだということです。公園が社会空間の一つの形態である以上、「公園」を「公園」たらしめているものの可能性、そして様々な制約や禁止事項は、実際は人間同士の関係の取り結びの現れです。

いくら奇麗で新しい公園でも、お金を払わなければ入るなと言われたり、これこれの活動以外はしてはだめだ、と言う人たちの下では、遊んだり、休んだり、何もせずにぼーっとしたりすることはより難しいように思います。

「この場所に一時的であれ、もっと長い時間であれ、その場所に今いる人間同士が、どのように振る舞えば、互いによい関係を取り結ぶことができるのか?」

「公園」という場所は、今や、自分の見知らぬ他者と出会い、その場所で、見知らぬ者同士が、どのように共にあることへの相互了解を取り結べるか、その場所にいることのどこまでが納得できるものであり、また、納得できないものであるかを、その場所で膝を突き合わせて話し合う、まだ見ぬ社会的諸関係の可能性を試みる場所としての役割を担ってきているのではないか、というのが僕の予感めいた印象です。

大企業の永続的占領に反対して行われた一時的占拠が、これまであまり語られてこなかった、もしくは自明化されてきた「公共」という概念を揺さぶりつつあるのは、確かです。そして、ナイキ批判やレジデンスへの批判を含めて、すでに「公共なるもの」に巻き込まれているはずです。

「公園は誰のものだ?」という定義を下す問いよりも重要なのは、この日の五月の空の下のように、「子供たち、そして大人たちがそれぞれ、別々のことをしながらも、その場にいることを肯定し合えるような状況を作る為にはどうすればよいのか?」というより具体的で、倫理的な問いへと自分たちの考えを開いていくことのように思います。