2010/07/06

カルチュラルタイフーン2010

先週末、知人の結婚式で上京した折に、4日に駒沢大学で開かれていたカルチュラルタイフーン2010にも足を伸ばしてき た。いつもは、東京の路上(デモの現場や宮下公園、高円寺界隈)で会う人たちが一斉に集っているので、なんだか不思議な感じ。

東京に行く度に必ず 遊びに行く、日本でも稀なanarchist infoshop のIRA (Irregular Rhythm Asylum)の出店ブースでは、社会問題とデザインの領域をクリティカルかつカラフルに横断しながら、素敵な作品やアイデアを僕らにギフトしてくれる、デザイナーのNEO DADAKKOさんがこんな調査をしていたので、ご紹介。

カルタイ2010"灰 色CHECK"

2010 年7月3〜4日に駒澤大学で行われたカルチュラル・タイフーンの
iIrregular Rhythm Asylumブース内で、第2回NEO DADAKKO意識調査「灰色check」を行いました。(←昨年のRLLによる「バビロン検定」が大変面白かったのでこういう調査をやってみたくなったのです)

ここで言う「灰色(※)」というのは、平たく言えば「人とか環境とかに対してろくでもないことをしてる企業」のことです。
ものを買うことが、その企業に対しての投票だとしたら、
ひどい搾取労働させてるとこだとか、戦争に加担してる 企業だとか、
ガンガン環境汚染してるところだとかのものは買いたくありません。
ということで、自分でわかる範囲ではありますが、4つの ジャンルに分けて
その品物を持っている(古着やもらいものは対象外)場合は
灰色ステッカーを貼る、というのをやってみました。

意外だったのは、古い携帯を大事に使っている人がたくさんいたこと。
広告ではじゃんじゃん最新携帯を買え〜と宣伝していますが、
若者たちは そんなのに乗らないのだな、と思いました
(iphoneはやっぱり多かったですが)。
詳しくは後日、以下のサイトにまとめてレポするつも りです。
ご協力してくださったみなさん、ありがとうございました.
http://neodadakko.blogspot.com/

music:DANGER MOUSE 「GREY ALBUM」より

※小沢健二さんが書かれた「うさぎ!」に出てくる「灰色」という言葉が、
意味的に しっくりきたので使用しましたが、「うさぎ!」文中で、こういうふうに「灰色とはこんな企業だ」と特定/限定しているわけではありません。興味 がある方はぜひ読んでみてください。
僕も「灰色check」をしてもらった結果、靴(Vans)、靴下(無印)、ipod(mac)に灰色シールが貼られることに。たまたま、他の持ち物は、灰色企業ではなかったけれど、自分のものと思っている身の回りの品々の由来をあまりにも気にしないでいたこと、そしグローバル企業の商品に囲まれて生活していることを、シールを貼付けてもらって、目に見える形で気がつかされました。企業のロゴ付きの商品は見慣れているけれども、 それは自分が知らず知らずに歩く広告塔になっていることと同じ事なんだ、と。広告は、看板やテレビだけに存在するのではなくて、身体をまるまる取り囲んでいる。

2010/07/03

ベンチをつくる、公園をつくる

 Our actions make park「公園のベンチは少しずつ減らされてきた。いまゴミ箱も撤去されている。そして、宮下公園は叩き売りできる状態へと段階的に演出されていく。そこ で、手作りのベンチを作る事に した。自分たちで公園を作っていく。」nikepolitics | 2010年07月02日

東京で、ナイキによる公園の私営化に反対し、スクワットを続けているA.I.Rからの映像。東京都や他の大都市の行政は、意図的に公園や公共スペースから、普通のベンチを撤去しており、その代わり、長時間座らせないようにデザインされたベンチ(座る場所に傾斜がついているものや、間仕切りして横になれないようにしているもの)を設置している。このベンチの存在に気がついたのは、確か2004年頃、東京の上野公園でやけに座り心地の悪いベンチがあることに気がついたときだと思う。噴水前に並んでいたそのベンチは、一見、木製の普通のベンチだけれど、いざ座ってみると、傾斜がつけてあり重心が前方に来てしまい、中腰の姿勢になってしまうし、ベンチに仕切りがついているので横になることもできなかった。こういうふうに、ベンチという一見 という人を受容する機能の中にすら排除の論理を組み込むことに対する強い憤りと、同時に圧倒的な資本と権力のソフトパワーが街に浸透することへの無力感を感じたのを覚えている。

けれども、もし、そんな不愉快なベンチしかないならば、自分たちで、自分たちが良いと思うベンチを自分たちで作り出せばよいのだ、ということをこの宮下公園の映像は教えてくれる。ベンチを作り、その場所に置くということは、自分たちだけが使うのではなくて、他所から来た人を受け入れることも意味する。座ることで、誰もがその場所をゆっくり味わうように、体をその場に預けることがでるし、追い立てられるように歩かせられる商業空間を離れ、再び土地と身体が繋がっていくのを経験する。ベンチを作ること、そしてベンチを置くことは、資本に浸食されたフラットな空間に、クサビを打ち込む作業のようだ。クサビで開けられた小さな空間こそ、資本の終わりの場所、そして別の社会への想像力が始まる場所だと思う。

手作りのベンチと、下のベンチ、どちらのベンチに座りたい?   

寝 過ごすと身体に穴があく有料ベンチ 

PAY & SIT: the private bench (HD) from Fabian Brunsing on Vimeo.

2010/07/02

雨の日のためのBUCKY BAR

まだまだしとしと雨の日が続くけれど、、
こんな梅雨の時期にぴったりの建築/一時的自立スペースがオランダのロルテルダムに出現。
全部傘で出来ているので、街中でさっと組み立て、解体できる。
 BUCKY BAR



Bucky Bar is a temporary, unauthorized installation created by DUS Architects in Rotterdam:
A spontaneous street party in winter? Last Friday evening Feb. 19th  opened, a temporary public building designed by DUS architects. The dome-bar, entirely made of umbrella's, appeared seemingly suddenly out of nowhere on the street around a lamppost in the centre of Rotterdam. The fully equipped bar, complete with DJ and drinks, was directly built on site. Approximately 300 visitors danced under the umbrella roof, until at 2:00 AM the police ended the party, as there was no permit.
 訳)
Bucky Barは、ロッテルダムのDUS Architectsによって作られた、一時的、無許可のインスタレーションです。「冬に自発的路上パーティ?」2月19日の金曜の夜、DUSの建築家達がデザインした、一時的な公共建築がオープンした。それは、すべてが傘で出来ているドーム型のバーで、ロッテルダムの中心部の街灯が立つ路上の上に、まるでどこでもない場所から突然出てきたようであった。この傘のバーには、ちゃんと設備が整っていて、DJやドリンクを出すこともでき、路上で直接建てられた。訪れた約300人の人々は、夜中の2時に警察がパーティを中止させるまで、傘の屋根の下で踊りを楽しんだ。そう、それは許可なしの路上パーティだったのだ。
 BUCKY BARの中の様子

2010/06/29

I am REFUGEE...I am not CRIMINAL

 社会問題への積極的に関わりを通して、社会と映像との関わりを探求している「行動する美術家」、藤井光の新しい仕事。
 I am REFUGEE...I am not CRIMINAL

2010年6月20日(日)世界難民デーの日に『かぞくをかえして! ともだちをかえして! 入管の人権侵害に反対するデモ』が東京・渋谷で行われた。

日 本は移民・難民行政についてとても大きな問題をかかえています。ほとんどすべての難
民申請は、たいした審査もなしに却下されます。さらには入国 管理局が、難民申請中の人でさえおかまいなしに恣意的な収容を行います。ひとたび収容されれば、人権がまったく配慮されない環境のな かに、何ヶ月でも何年でも監禁され続けるでしょう。職業などを求めてやってくる難民以外の外国人も、同じようにあつかわれます。出身国での迫害 から逃げてきた難民には、帰る場所などありません。また、たとえ難民の場合でなくとも、非人道的な収容環境それ自体が大きな問題で す。収容のあいだに心身の健康を損ない、けがをし、ときには命を失うことすらあるのです。

SYI(Immigration Detainee's Friends 収容者友人有志一同)
http://pinkydra.exblog.jp/12726896/

2010/06/20

ガザ自由船団”マビ・マルマラ”号に対するイスラエル軍の攻撃の目撃者

マビ・マルマラに対するイスラエル軍の攻撃の目撃者
ThisCantBeHappening原文
2010年6月15日(火)


益岡賢のページより

ブリティッシュコロンビア州ビクトリアのケビン・ネイシュは、イスタンブールからオタワへ向かう飛行機に乗り込もうとするときまで自分が有名人になったこ とを知らなかった。「美しい服を着たアラブ人女性が私のところに駆け寄ってきて叫んだのです。『あなただ! アラブのTVで見ました! 誰もが知っていま す!』」。ネイシュはそのときのことを笑い声で説明する。「何を話しているかわかりませんでしたが、彼女は『イスラエル奇襲部隊の本を眺めているあなたを 見ました! 何度も何度も放送されました!』と言ったのです」。

落ち着いた口調の教師で、カナダ国防省の文民技師をしていたこともあるネイシュは、それでようやく、ガザへ向かう自由船団をイスラエル軍が攻撃している最 中にブックレットを眺めている彼の姿をアラブのTVカメラマンが撮影し、その映像が、船団からの電子信号をイスラエルが妨害する前に、外部に送信されてい たことを知った。そのブックレットは、乗っていた人々全員の写真と経歴を掲載したもので、ネイシュがイスラエル軍奇襲部隊兵士のバックパックの中から見つ けたものだった。

5月 31日の早朝まだ暗い中、イスラエル軍が着発手榴弾と催涙ガス、銃弾の雨により自由船団の主船、トルコ船籍のマビ・マルマラ号に攻撃を仕掛けてきたとき、 53歳のネイシュは、マビ・マルマラ号の第2デッキ----船尾が見渡せるところだった----に乗っていた。彼は第4デッキの吹き抜けに移動し、犠牲者 が即席の診療場所に運び込まれる光景を目にしながら写真を撮っていた。乗客と乗員に拘束されたイスラエル軍奇襲部隊員数人も彼の横を運ばれていった。

「人々がこのイスラエル軍兵士を下に連れていくのを目にしました」と彼は言う。「兵士はおびえていました。殺されると思っているような様子でした。IDF の発砲で乗客が重傷を負ったのを目撃し、頭に来た大柄なトルコ人がこの兵士を殴ろうとしたとき、トルコ人救援隊員たちが彼を押し止めて壁に押さえつけたの です。イスラエル軍兵士の命を守ったのです」。

この兵士が落としたバックパックにネイシュが気づいたのはそのときだった。「中を見て、何を持っているのか調べようと思いました」とネイシュは話す。「中 にはこのブックレットのようなものが入っていました。英語とヘブライ語で船団の全船に乗っている人の写真と名前が書いてあったのです。さらに、マビ・マル マラ号のデッキを詳しく描いた図もありました」。

そうしているうちに、イスラエル軍の攻撃で撃たれた人々、死にかけている人々、すでに死んだ人々が上から次々と階段を運ばれてきた。「自分のカメラで死者 と負傷者の写真を丁寧に撮りました」と彼は言う。「側頭部に二つの弾痕がきれいに並んで開いた状態の遺体が数体ありました----彼らが処刑されたことは 明らかでした」。

ネイシュは船上で拘束され、数日間イスラエルで投獄されていたが、写真をイスラエルからトルコに持ち出すことに成功した。「メモリーカードを取り出してか ら、カメラをはじめ電気電子製品はすべてイスラエル軍に渡しました。チップはあちこち場所を変えて隠し、見つからないようにしました」と彼は言う。「イス ラエル軍はカメラとコンピュータをすべて没収しました。一部は叩き壊され、一部は持ち去られました。私はチップを舌の裏にかくしたり、尻の割れ目や靴下な ど、色々なところに隠して見つからないようにしたのです」。結局、ネイシュは、トルコ航空で帰国することになったトルコ人にチップを渡すことができた。メ モリーカードは「自由ガザ」という組織の手に渡り、写真の一部が公開されたことを確認したという。つまり、写真をうまく持ち出すことができたことがわかっ たのである。

イスラエル軍奇襲部隊は武器としてペイントガンと9ミリピストルしか持っていなかったというイスラエルの主張は「まったくでたらめだ」とネイシュは言う。 「階段の吹き抜けにいたとき、奇襲部隊兵士が上のハッチを持ち上げて機関銃を突っ込み、撃ち始めました。銃弾が一面に跳ね返りました。兵士が覗き込んで中 を確認していたら、私の命はなかったでしょう。けれども吹き抜けにいたトルコ人2人がハッチの脇に立ち、救命ボートのアクセスポイントから持ってきた短い 鎖を機関銃の銃身に叩きつけたのです。兵士を叩こうとしたのか機関銃を取ろうとしたのかはわかりませんが、イスラエル軍兵士が身を引いたので、ハッチを閉 じて鍵を締めたのです」。

「ペイントガンなんか一つも見ませんでした。ペイントボールもどこにもありませんでした」。

乗客の中で銃を持っていた人も1人も見なかったと彼は言う。「私はずっと船の中にいましたが、乗員や援助職員が武器を持っていたことはまったくありませ ん」。実は、ネイシュは当初、チャレンジャーIIという名の、より小さな70フィートのヨットに乗っていたのだが、キプロスに立ち寄ったときにマビ・マル マラに移った経緯があった。イスラエルの工作員がチャレンジャーIIに細工をしたため(イスラエル政府はのちにこれを認めた)、チャレンジャーIIが操縦 不能になったためであった。「マビ・マルマラに乗るときには身体検査を受けましたし、武器がないかどうか手荷物も調べられました」。「私は技師ですので、 ポケットナイフを持っていましたが、検査員はそれを取り上げ、海に投げ込みました。今回の航海では乗客はどんな武器を持つことも認められなかったのです。 この点については細心の注意を払っていました」。

イスラエル軍の攻撃の際に彼が目にしたのは弾傷だった。「殺された数人をこの目で見ましたし、数十人のけが人も見ました。胸に大きな穴を開けた年嵩の人が 壁にもたれていました。私が写真を撮っている間に彼は死にました」。

殺されたことが確認されている9人のほとんどを自分の目で見ているし、負傷者40人の大部分も見たとネイシュは言う。「それほど重い怪我ではないけが人 は、さらにたくさんいました。イスラエルの監獄で、ナイフ傷を負ったり骨を折っていた人々に会いました。中には、連れ出されて一人になるのがいやで、怪我 を隠している人々もいました」。「当初、乗っていた人々のうち16人が殺されたという報道がありました。船の診療所は16人と言っていました。海に投げ捨 てられた遺体がある恐れもあります。けれども、今では、行方のわからない7人については、家族からも何の連絡もないので、イスラエルのスパイではなかった かと人々は思い始めています」。

イスラエル軍はマビ・マルマラを制圧したのち、乗客と乗員を集めて、男たちをデッキの一カ所に、女たちを別の場所に集めた。 男たちは座るよう命令され、プラスチックの手錠を掛けられた。ネイシュによると、あまりにきつく縛られたので、手首が切れ、手は紫に腫れ上がったという (それにより彼の手の神経は今も傷ついているが、カナダの医師は、少しずつそのまま回復するだろうと言っている)。

「兵士は私たちに黙るよう言いました」。「ところが、途中でトルコ人のイマームが立ち上がり、 アザーンを歌い始めたのです。誰もが静まり返っていました----イスラエル兵もです。けれども、10秒くらいして、イスラエル軍士官が、座っている人を 踏みつけて走り寄り、ピストルを取り出してイマームの頭に突きつけ、英語で「黙れ!」と叫んだのです。イマームは彼をまっすぐ見つめて歌い続けました!  ジーザス、彼は殺される、と思いました。それから、たぶんここにいるのも何かの縁だろうと思って、私は立ち上がりました。くだんの士官は振り向いて、今度 は私の頭に銃を突きつけました。そのときイマームは歌を終えて座り、私も座ったのです」。

イスラエル軍に乗っ取られた船団がイスラエルの港アシュドットに向かう中、捕虜にされた人々には食事も水も与えられなかった。「与えられたものといえば、 船倉からイスラエル軍が盗み出したチョコレートバーだけでした」とネイシュは言う。「トイレに行くために懇願しなくてはならず、ズボンに出さざるを得な かった人もたくさんいました」。

イスラエルの監獄に移されてからも、状況はさほど改善されなかった。ネイシュと、一緒に捕虜になった人々は、半日以上何も食べていなかったが、凍ったパン の塊とキュウリを投げ込まれただけだという。

2日目に、カナダ大使館の職員がやってきて、ネイシュの名前を呼んだ。「監房を一つ一つ回って私を探していたのです」とネイシュは話す。「娘がカナダ政府 に、私が船団に乗っていたことを必死になって訴えていました。イスラエルは、私の名前を把握してどこにいるかも知っていたのですが、カナダ大使館の職員に 教えなかったのです。大使館職員も、そして娘も、私が殺されたと思っていたようです。最初に攻撃された場所の近くにいたという話が伝わっていたためです。 よかったことといえば、私の名前を呼んで回っているときに、大使館職員は、偶然、そこにいることを把握していなかったアラブ生まれのカナダ人2人を見つけ 出すことができたことです」。

「職員がついに私の監房にやってきたので、私は返事をしました。『ケビンですか? 死んだと聞いていたのですが』と職員は言いました」。

数日間拘束されたのち、今度は大慌てで全員がベングリオン空港に移され、トルコ行きの飛行機に乗せられた。「イスラエルの弁護士たちが、公海上で私たちを 拘留したのは不法であると私たちのケースを最高裁に訴えていたことがわかりました。最高裁がイスラエル軍に、私たちを船に戻して船を行かせるよう命ずる可 能性があったので、イスラエル政府は私たちをすぐにイスラエルから追い出して訴えの意味をなくそうとしたのです。けれども、おそらくはモサド(イスラエル の諜報機関)にだと思いますが、連れ去られた人が2人いました。ですから、私たちは『2人を戻すまでは私たちもここを動かない』と言ったのです」。

2人は戻され、他の人々と一緒にイスラエル国外に出ることを許された。

「正直、イスラエル軍が船に乗り込んでくるとはまったく思っていませんでした」とネイシュは話す。「ガザに行けると思っていたのです。自由ガザ運動の一環 でしたし、運動はこれまでも何度か援助を試み、うまくいったり妨害されたりしましたが、今回は大船団でした。止められて捜索を受けるかもしれないとは思っ ていました。最初に乗っていたチャレンジャーII号には、ドイツの国会議員3人とアン・ライト中佐というお偉方、それに私が乗っていただけです」。

イスラエルの監獄にいたとき、おそらくはイラクやアフガニスタンで軍務に就いている多くの米兵よりもたくさんの死者と惨劇を目撃しただろうネイシュは、暴 力の記憶に耐えられなくなった。「取り乱して、泣き出しました」。「体の大きなトルコ人がやってきて、『どうした?』と聞いてきました。『16人もが殺さ れたんだ』と答えました」。

「『すばらしい大義のために命を落としたんだ。満足しているに違いない。あなたは戻ったら、見たことを伝えればよい』。彼はこう言ったのです」。

【元記事の独立系サイトでは運営資金の援助も募集しています。http://www.thiscantbehappening.net/supportus】

2010/06/18

urban potlatch workshop 02 @ art space tetra


urban potlatch workshop 02 2010.06.25 (Fri)

“How to hack our city?”

ファシリテーター:江上賢一郎

時 間 2010年6月25日(金曜)20:00-22:00

場所 art space tetra 〒812-0028 福岡市博多区須崎町 2-15

*参加費 500円(ワンドリンク付き)
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自分たちが住む街で,一体どのような表現や生活のスタイルが作り出せるのだろう?

近年、世界中の様々な都市のストリートで表現や創造活動を行うアーティスト達が出現してきています。彼らの表現の関心は、ホワイトキューブの中ではなく、 社会的な構造と問題が直截的に表出する都市空間そのものにあります。ストリートアートと呼ばれるその表現の多くは、都市空間の持つ社会性に注意を払い、そ の場所の経済的、政治的なコードを読み込んだ上で、それらを撹乱し、乗っ取り、新しい空間や他者との関係を切り開いていこうとしています。

また、このような表現活動は同時に、自分たちの表現の場と生活の場を密接に結び直し、自分たちの生活そのものを、表現を通じて変化させていくという側面も 持っています。

今回のurban potlatchでは、昨年11月に京都でN.YのグラフティアーティストGRLが来日した際に開かれたGRL KYOTOのワークショップや、京都で新しい表現と生活の方法を共同的に実践しているhanareの活動に触れた経験をもとに、都市の中で誰でもできる表 現活動や生活のアイデアを生み出し続けている彼らの活動を紹介する同時に、その実践や、さらなるアイデアについて一緒に考えて行きたいと思います。

GRL (N.Y)  http://graffitiresearchlab.com/
hanare (京都) http://hanareproject.net/

内容についてのお問い合わせ
メールアドレス:u.potlatch@gmail.com (江上)

*プロフィール
江上 賢一郎 (Egami Kenichiro) 2009年 ロンドン大学ゴールドスミス校 文化人類学修士課程修了  現在 福岡在住



2010/06/13

Don't Get Caught in a Bad Hotel

サンフランシスコで、ホテルの従業員とアクティヴィスト達が5月に行った、悪徳ホテルをボイコットしよう!というフラッシュモブ。労働者に不利な雇用契約の改善と雇用者とその家族への健康保険の適用を認めさせる労働争議の中で、自分たちの働いているホテルのボイコットを呼びかけている。
Don't Get Caught in a Bad Hotel
 Youtubeの解説より
A flashmob infiltrates the Westin St. Francis hotel in San Francisco and performs an adaptation of Lady Gaga's song "Bad Romance." The event was organized to draw attention to a boycott called by the workers of the hotel who are fighting to win a fair contract and affordable healthcare. Lesbian Gay Bisexual Transgender Queer activists put the song and dance together as a creative way to tell the hundreds of thousands of LGBTQ people from all over the country coming to San Francsico in June for Pride to stay out of the boycotted hotels.
 <訳>
サンフランシスコのthe Westin St. Francis ホテル内で行われたフラッシュモブ。Lady Gagaの "Bad Romance"を脚色したこのパフオーマンスは、公正な労働契約と健康保険への加入を求め続けているこのホテルの従業員達を支援する目的で行われた。彼らは、自分たちが働くホテルへの宿泊ボイコット運動を呼びかけている。
 そして、サンフランシスコのレズビアン、ゲイ、バイセクシャルそしてトランスジェンダーの活動家達が、ホテル内で音楽を演奏し、従業員達と一緒に踊り、創造的な仕方でこの問題を6月のPrideの為にサンフランシスコに全米中から訪れるLGBTQの人々へ伝えた。

ブラスバンドの人たちは、サンフランシスコのポリティカル マーチバンド
The Brass Liberation Orchestra
 
http://brassliberation.org 

To learn more about how to honor the boycott and support the workers visit:
http://www.sleepwiththerightpeople.org
http://www.hotelworkersrising.org/Hot...

this event was organized by:
San Francsico Pride at Work / HAVOQ http://www.sfprideatwork.org
One Struggle One Fight http://tinyurl.com/OSOFfbpage