2011/02/18

「革命前夜のアスマ・マフフーズのヴィデオ・ブログ」


 ▼簡訳「革命前夜のアスマ・マフフーズのヴィデオ・ブログ」

いまは2011年1月24日の夜の10時30分です。
明日は1月25日、私たちが待ち望んでいた日です。
明日は私たちみんなが全力で動きまわる日になるでしょう。
すばらしいのは、政治家たちではなく、
私たちみんなが動きまわるということです。
そう、すべてのエジプト人たちが動きだすのです。
14歳以下の子どもたちもです。
子どもたちはポスターを印刷し、
礼拝者のあとに連いて、ポスターを配ってまわりました。
60代や70代の人たちも手伝ってくれています。
人びとは、できる限り、あらゆる場所にポスターを配っています。
タクシー、地下鉄、路上、学校、大学、会社、政府機関などです。
エジプトのすべての人が明日が来るのを心待ちにしているのです。
いま、みんなが緊張し、不安を抱いているのを感じています。
でも、明日、何かが起こり、それがうまくいくのを、
私はこの目で見たいのです。
明日はまだ革命の日ではありません。
すべてが変わる日ではありません。
明日は「終わりのはじまり」の日なのです。
明日、治安部隊が私たちに、
たとえどんなことをしたとしても、
私たちひとりひとりが自らを奮いたたせ、
平和的な抗議をするひとりの人間として立ちあがれば、
それが変化につながる道への
最初の第一歩になるでしょう。
私たちを前進させ、
私たちに多くのことを教えてくれる、
本当のはじまりの第一歩です。
いま進んでいる私たちの団結は、
それだけでひとつの成功です。
自分たちの権利は自分たちで要求しなければならない、
そのことを知るだけでもすでに成功なのです。
神の思し召しがあれば、明日の午後二時、
ムスタファ・マフード広場のアラブ連盟に、
私たち全員が集まることになっています。
他の人たちも参加する予定です。
平和的な抵抗の日に、
みんなが一同に会するのです。
乱暴な破壊行為をする人は、私たちの仲間ではありません
そのような行為をする人がいたら、私はとめるつもりです。
おたがいにまもりあいましょう。
私たちはまる一日そこにとどまるか、
そこで一泊する準備をしています。
三日になってもかまいません。
私たちは、自分たちが望んでいるものに対して
全力を尽くすべきなのです。
たとえ彼らが私たちに何をしても、
私たちの要求が受け入れられるまで
そこを動くつもりはありません。
どうか、みなさんも自分を大切にしてください。
いま、私たち全員が祈っています。
イスラム教徒もキリスト教徒も、
私たちみんなが神に祈っています。
神だけが私たちに勝利をもたらしてくれます。
神だけが私たちをまもってくれます。
だから私たちは共に手を取りあい、
共に立ちあがり、そして、
たがいに守りあいましょう。
この数日のあいだにたくさんの電話がありました。
それはエジプトの国内外のあらゆる社会的地位の人たちからでした。
それはとてもすてきな出来事でした。
私たちはたがいの身を案じ、
まるで姉妹か娘、あるいは、
母親であるかのように話しかけてくれました。
私は自分が「エジプトの娘」であることを
心の底から感じました。
私はあなた方の娘であり、
あなた方が私のことを心配してくれているのを感じました。
それは、これまでの人生のなかで
私が体験した最もすばらしい出来事でした。
明日お会いできることを期待しています。
午後二時ちょうどに待っていますから、
どうぞ遅れないようにしてください。
そしてエジプトの旗を持ってきてください。
この旗は私たちをまもる盾です。
これは私たちの国なのです。
これは人としての私たちの権利、
エジプト人としての私たちの権利なのです。
明日、あなたをお待ちしています。
明日は、私たちの希望と夢、そして、
はじまりの第一歩の日なのです。
私はあなたを待っています。
では、おやすみなさい。
どうかお元気で。


(簡訳:PROS/イルコモンズ+江上賢一郎+徳永理彩ほか)

[エジプト革命] 簡訳「タハリール広場のデモクラシー派アクティヴィストへのインタヴュー」

▼[エジプト革命] 簡訳「タハリール広場のデモクラシー派アクティヴィストへのインタヴュー」


▼簡訳「タハリール広場のデモクラシー派アクティヴィストへのインタヴュー」

―いまの状況についてどう思うか、すこし話をきかせてもらえますか?

はい、状況はとてもはっきりしています。内務省が野放しにした囚人たちが街を壊しているんです。政府はいまの体制が不可欠だといいますが、私たちはこの体 制を望んでないのです。私たちが望んでいるのは憲法の改正です。人びとが次の大統領を選ぶべきだという人もいます。政府を望んでないと私たちがそう云うの は、単に私たちがムバラクを個人として望んでないということだけでなく、私たちは押しつけられた人物に縛られたくないということなのです。私たちは自分た ちの手で大統領を選びたいのです。なぜなら私たち自身で、この国を未来に導いていきたいからです。」

―明日、100万人のデモ行進があるという話ですが。

はい、すべての人が集まるはずです。少なくとも私が知っているすべての人が参加することだけは確かです。私たちは平和的に抗議運動を続けるつもりです。た とえ警察権力によって攻撃されても、私たちは平和的態度でのぞむつもりですし、私たちの要求が実現されるまで平和的な抗議運動を続けるつもりです。」

―カイロに通じる道路を政府が封鎖しているという話もありますが

いまエジプトの若者たちは自分たちの家を自分たちで守っています。みんなで集まって団結し、自分たちの家と地域を守ろうとしています。自分たちの地域や家 を守るのに警察権力は必要ではない、というだけでなく、警察が及ぼす悪意からこの国をまもり、この国を前進させることができるのは私たち自身だということ を証明してみせているのです。人びとは道路をかたづけ、若者のグループが街路を清掃しています。私たちはこの国を安全なものにしたいと思っているのに、政 府はそれを壊そうとしているのです。私たちの要求が実現されるまで、私たちはこの場所から一歩も動くつもりはありません。

―明日人びとがカイロに来れないように、政府が何かをすると思いますか?

警察権力は平和的な抗議者に介入しないという話を聞いてますので、私たちとしては、それが本当であることを心から望んでいます。私たちはこれまでも、そし て、これからも平和的に行動するつもりです。警察はそれを尊重すべきですし、平和的な抗議をこのまま続けさせるべきだと思います。

―ネットの遮断はどんな影響を与えてますか?進展が遅くなると思いますか?」

※タハリール広場の上空を飛ぶヘリの轟音で一時中断

インターネットの遮断は、必ずしも私たちにとって不利な影響を及ぼすものでありません。実際のところ人びとは、それほどインターネットに頼ってないので す。政府がネットを遮断することにはなんの正当な根拠もありませんが、たとえ政府がインターネットを遮断したとしても、いえ、そう、これは 「Facebook革命」とか「インターネット革命」なんかじゃないんです。こうして路上にいる何千人もの人を見てもお分かりの通り、金曜に電話回線が遮 断されてもなお人びとは、路上に集まってデモ行進をしています。これはインターネットに関する事柄などではなく、エジプト人の要求と訴えに関するものなの です。

―政府がこの運動を阻止するために何かするかもしれないということに不安を感じますか?

政府はそれを試みようと しましたが、私たちが平和的な抗議運動を続けたので、結局、うまくいきませんでした。人びとは自分たちの云うことをまげず、要求を貫いているので、それが 破られることはありません。なぜなら私たちは、もうこれ以上我慢ができないからです。私たちの要求に対する回答を見届けるまでは、なにがあっても、この広 場から立ち去るつもりはありません。

―ムバラク大統領の対応をみて、妥協案を示す人々はいますか?

次の大統領が人びとによって選ばれるという、そのことが保証された場合にのみ妥協があり得ると私は思います。

―この事態は過渡期だという意見がありますが、同意しますか?

はい、そのとおりだと思います。でも、この過渡期なしに何かが起こるということはないと思います。

―どうもありがとう。

はい、どうしたしまして。

(簡訳:PROS/イルコモンズ+江上賢一郎+徳永理彩ほか)

2011/02/14

明日への歌 from Egypt

革命の風景には、革命の歌がよく似合う。
路上の人々のまなざしから見たエジプト革命を、日本で唯一(と言っていいと思う)タイムリーかつ、深い共感を持って伝えてくれた「イルコモンズのふた」より、革命のまっただ中で生まれた曲。
▼[エジプト革命] Sout Al Horeya/ヴォイス・オブ・フリーダム

Sout Al Horeya صوت الحريه Amir Eid  



これは曲も歌詞も映像もコンセプトもタイミングもなにもかもすばらしい。でもなによりも、ジジェクが書いているような「生きている実感」を手にした人たちの表情がどれもすばらしい。
(イルコモンズのふた 2月14日、より抜粋)
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歌っている場所と歌詞とメロディー、そしてPVに出てくる人たちの姿、すべてが一つの状況のただ中にあって、その場所と時間を生きることそのものが歌に変わる。歌と映像が結びつき、ひとつの風景を開示している。このミュージッククリップは、商業プロモーション用のミュージッククリップのように、画面の向こう側に完全に自らを物象化させた人やオブジェをきらびやかに配置して、観る人に「欠乏感」から来る擬制の欲望を喚起させるのではない。

そうではなく、歌、映像、そして映り込む歌い手や人々の表情が、観る私たちへ呼びかけ、語りかけ、そして私たちを彼らが今生きている世界へと誘っている。この誘いに答えたいという私たちの欲望はきわめて健全で、まっすぐなものだ。歌は、そこに映る人々の口から口へと流れていき、youtubeを観ている私たちにまで流れて行く。歌を通して、映像を通して伝わるものは、地球の反対側で、彼らが生きていること、私たちと同じようによりよい明日を望んでいること、そして、長い間抑圧されていた社会を自分たちで打ち壊し、あたらしい世界の空気をその胸に一杯吸い込んでいるその喜びそのものだ。その喜びが、歌という贈り物となり、私たちに届けられている。どうして、この贈り物を拒否し得るだろうか?

未だに「社会が変わるなんて、そんなことは不可能さ」と冷笑的な反応をする人たちにぜひ、聞いてほしい。この喜びの歌、希望の歌が、その答えとなるはずだから。



2011/02/13

革命の風景

革命の風景とはどんなものだろう?
そんな長年の疑問をエジプトの人たちが、この18日間でありったけの勇気と知恵と行動で教えてくれて気がする。

2月11日、ムバラクが辞任するという声明を発表した直後のタハリール広場の光景。


このように街の全ての人が一斉に喜び合い、走り回り、抱き合い、喚起の声を上げている。この喜びは誰かが独占する類いのものでないし、オリンピックやワールドカップのように他の人の活躍に自己を投影するものでもない。みんなの喜びであること。自分たち自身が主人公であり、他の人達も同様にその喜びを感じていることを肌で感じ、全身をもってその沸き起こる情動を受け止めることを可能にする時間。

革命というものが、単に体制の変革や権力の奪取と同じ意味であれば、それは単なる政変の道具か過ぎないが、革命は、人間が互いに偶然にもその時代、場所に生きて、共に在ることの美しさと、自分たちが持っている秘められた能力や可能性を感じ取る、そのような神秘的な力だと思う。

古い書物のインクから語られる「革命」は、どこか遠い世界の話のようであったけれど、ネットを通じて出会った、エジプトの人たちの声、表情、行動が、「革命」とは「今、人間がこのように在る為に戦うことだ」と教えてくれたように思う。

エジプトの路上にいる皆さんに、شُكْرًا.!!

2011/02/12

革命のキャンプツアー

昨晩、エジプトで革命を実現した人々は、ムバラクが逃げ出す以前に、すでに、自分たちの革命後の世界を想像し、そして実現できる場所を作り上げていた。タハリール広場は、革命運動の象徴的な中心でもあったが、同時に、革命後の世界のミニチュア都市でもあった。この小さな、けれども、とても大きな可能性を秘めた場所へのツアーをBBCの特派員がレポートした記事があったので、翻訳してみました。
Egypt: The camp that toppled a president

Cairo's central Tahrir Square was the focal point for anti-Mubarak protesters during 18 days of demonstrations. As the protest neared its peak, the BBC's Yolande Knell took a tour of the area. Explore the protesters' camp by clicking on the links.
 訳)カイロのタハリール広場は、18 日間に及ぶ抗議運動の間、反ムバラクの抵抗者達にとって、中心的な場所であった。抗議運動がそのピークに近づいている時、BBCのレポーター、Yolande Knellは、このエリアを巡るツアーを行った。
BBC: http://www.bbc.co.uk/news/world-12434787
























 1.キャンプ場


多くの抗議者達は毎晩家に帰っているが、筋金入りの抗議者達は環状交差路、舗装路、芝生のへりにキャンプ場を設置した。他の人たちがビニルシートの下や、歩道を跨いで敷かれた絨毯の上に身を寄せたが、ある人々はテントの中で眠りについた。

2. ブロガー広場


エジプトのネットアクティヴィスト達は、民主化要求運動で重要な役割を果たしており、大勢の人々は、広場中央のロータリーで共にキャンプを張った。

3.中央ステージ


この舞台は、ある種の「話し手の為の場所」へ、つまり抗議者達が仲間に向かってアクションを呼びかけるときや、この抗議運動で亡くなった人々への黙祷を捧げる為の場所となった。

4.薬局


メインステージ付近の薬局は、キャンパー達や訪れた人たちを、清潔にそして彼らをよい健康状態に保つ役目を果たしている。

5. 芸術作品


「エジプトの心」と呼ばれるこの作品は、抗議者達によって作られた数多くの作品の内の一つである。ハートが、ムバラク支持派と抗議者達が衝突した路上の上で横たわっている。おおくの訪問者が、この作品を横にして写真に撮っている。

6.KFC病院


ケンタッキーフライドチキンの店は、抗議者達によって占拠され、怪我や病気をした人々の為の病院へと変わった。

7.新聞の壁


毎朝、商店のシャッターの上に、エジプトの主な新聞各紙が張られている。これは、新聞を買う余裕がない抗議者達が、最新のレポート、記者、コメントを追う事ができるようにするためでる。

8.戦車


抗議運動全体を通じて、抗議者たちは、軍が広場の方に進軍しないよう、エジプト博物館付近に配置された戦車の周囲に座ったり、寝転んだりしていた。


9.路上病院


ボランティアの医師達によって置かれた、路上病院は、負傷した抗議者達が傷の手当を受けるための診療所の一つである。エジプト人達は、通常無料の医療を受ける機会は無かったのだが、ある人は、この広場の診療所はこれまで彼らがやってきた活動に関してのよりすぐれた進歩だと語った。

10.幼稚園


抗議運動の期間、カイロの学校は閉まっていた。けれども、デモに参加したいと望む母親達が数多くおり、数多くの子供たちをこの広場に連れてきた。そこで、抗議者達によって幼稚園が組織された。

11.食料品屋台


この豆を売りは、たくさんの露天商人のうちの一人だ。彼らは、バリケードの中に露天を開いている。抗議者たちはまたHardeesファーストフードレストランを占拠し、そこから無料のパンとチーズを得ている。

12.旗売り


抗議運動が始まって以来、広場内ので全体的な経済システムが生まれ育った。露天行商人たちが、エジプトの旗や国旗の色のデザインをした帽子を売っている。大きなエジプト国旗は、5エジプトポンド(60円程度)だ。

13.トイレ


キャンプトイレは元々は、エジプト博物館付近にある建設現場の作業員用の小屋の中にある。18日を経たあと、匂いはとてもすさまじい。

14.水飲み場


飲料水は簡単には手に入らない。そこで、抗議者達は、工事現場の横の水場で、ペットボトルに水をつめている。

15.殉教者たちの壁


反乱の最中に死んだ人々の様々な記憶や思い出の品々は、「殉教者の壁」と呼ばれる場所に立っている。犠牲者の友人達が、彼らの写真やどのようにして死んだのかという説明文を壁に貼っている。それらのいくつかは、とても生々しく、そして警察の暴力を強く非難している。
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食事、飲み物、トイレといったその場に滞在するための基本的なロジスティックな設備を自前で作り出したり、見つけたり、準備するだけでなく、子供を世話する場所、アートを作り出す場所、亡くなった人を弔う場所といった空間を作り出す姿を通して、人間が「社会的な動物」であり、他者との関わりを通じて、自らが生きる術と意義を見いだす存在であることを改めて教えてくれる場所。

こういう空間の存在を知り、このような場所を作り出す知識や技術を学んでいくこと、研究していくことがこれからとても大事になってくるはず。

2011/02/09

Really Free School in London

昨年、大学の学費の値上げに対して、過去に見ない規模で学生達が反対運動を展開したイギリスで、これまでの大学や教育制度のあり方に異を唱えて、無料で誰でもが入学でき、技術を学び、知識を共有できる学校を立ち上げた。Really free school は、学費値上げを断行した国に対する、学生達の側からの創造的な返答だと思う。


Really free school
http://reallyfreeschool.org/?page_id=2
Communique #1
数多くの教育施設や大学が乱立する中で、「教育」について再-想像できるスクワットスペースがあります。授業料の高騰や度重なる「成功」へのプレッシャーの中、私たちは「知識」を、これまでと異なった、すべての人が交換できる貨幣と見なし、その価値を尊重してこうと考えています。この学校の中では、あらゆる技術は交換され、情報も共有されますが、生み出された文化それ自身は売り買いできません。ここは、お互いに、物事がうまくはずんでいくような相手同士を見つけることのできる自律的な場所なのです。もし、「学ぶ」ということが労働の世界への準備以上のもでないのであれば、この学校は「教育」に対するアンチテーゼとなるでしょう。なぜなら、生きる事というのは、賃労働よりも、もっと多くの物事を含んでいるからです。これは、抵抗の長い歴史の中の最も新しい章の一部分なのです。一つの開かれた書物であり、予定調和的な計画なし生まれてくる空間であり、制限のない自由の場であるこの空間は、恊働と水平的な関係を通じて、「互いに等しくあること」を豊かに養っていく場なのです。これは、ワークショップ、トーク、遊び、議論、講義、スキルシェア、ディベート、上映会等々の活動を統合していく試みでもあるのです。共に「教育」を再び私たちの手に取り戻そう。集会を開き、あなたの知識を共有し、技術を拡張していこう、もしくは、ただ単にこの場所(5 Bloomsbury Square)に遊びにきてみよう。

タハリール共和国

今、エジプトで起こっていることが、動乱や反政府運動、無秩序なんかではなくて、疑うまでもなく「革命」であって、それも権力の奪取ではなく、権力の無化と、相互扶助相互平等を原理とした新しい世界を作り出す創造と実験の場であることを教えてくれる記事を「イルコモンズのふた」で見つけたので、翻訳してみました。


The UNITED republic of Tahrir
「タハリール連合共和国」(Sunday, February 06, 2011)
Text by Sina
Blog: Natural Conspiracy ( http://natural-conspiracy.blogspot.com/ )
抗議デモの最初の週の間、私はタハリール広場には一回訪れただけであった。その時は、本当にデモの雰囲気に包まれていて、まだ新しく、出来たばかりの、そして、実際どのような目的も持っていない場所であった。今日、私はひとつの素晴らしい変化を目撃するためにタリハール広場に戻った。その場所は、デモの場であることを止めて、ほとんど一つの生活様式の場となっていた。そこにいる人々は、彼ら自身のことをエジプト人とだけではなく、Tahririans(タハリール人)とも呼ぶことができた。なぜなら、そこに始めからいた人々は、これまでと完全に異なる人々になっていたのだ。けれども、まずは私に事の始めから話をさせてほしい。


私たちはカスル•エル•ニール橋を経由してタリハール広場へ向かったが、橋の終わりのところで2台の戦車が道を塞いでおり、その前には辛抱強く待っている人々が列をなして立っていて、その列内で人々は広場に入ることができるかどうかの身体検査を受けていた。入り口には2つの区画が設けられ、一つは女性用、もう一つは男性用であった。私は女性用の区画を通っていった。そこには笑顔の若い女性のグループがいて、私のバックと体を手で検査しているあいだ、ずっとジョークを言い合っていた。私自身は、過度の身体的接触を好まないタイプの人間なので、それは最もひどい悪夢のようでもあった。けれども、私はそれで不愉快な思いはしなかった、なぜなら検査をする女性は親切で丁寧な物腰で話しかけてくれ、安心できるように落ちつかせてくれたからだ。そして、2,3ヶ所のこのような愛想の良いチェックポイントを抜けると、私たちは広場の中にいた。私たちが入りこむや否や、私たちは歌の歓迎パーティの出迎えを受けた、「Ahlan Ahlan Bel Zowaar(訪問者のみなさん、ようこそ)」。タリハールにこの13日間居続けた人々は、この場所に来る、または出て行く人たち、つまり、タリハール共和国の旅行者たちを迎える役目を自ら引き受けたのだ。人々のグループは、あちらこちらに散らばっていて、そのいくつかはとても大きなもので、そのほかは数人規模のものであった。けれどもその全てが、共同戦線を張り、体制を引き倒そうと恊働していた。他の人達が、国家を歌ったり、「体制を倒せ」というスローガンをコールしている一方で、ある人たちは一晩中徹夜したり、休んだり、眠っていたりしていた。あらゆる場所に女性たちと子供たちがいて、何人かの子供たちはまだ生まれて間もない子たちだったが、彼らの両親達は、この子たちは彼らの国の歴史の一部でもあるべきだ、と考えていた。他の女性達がデモからは完全に切り離されていたのに対して、ここでは何人かの女性達がシュプレヒコールをリードしていた。時々、有名人達が通り過ぎるのだが、たいていは彼らと一緒に歩いている人々の輪の中で指摘されてそうだとわかった。この輪が動きだすとすぐ、人々は隣の人にあの人物は誰であったのかを尋ねるのだが、だいたいは正しい答えがかえってきた。けれども、誰もこの有名人達をを追い回したりはしなかった、彼らは快く迎えられるが、それは懸賞商品を受け取るようにではない。タリハール共和国においては、市民こそが、最も高貴な有名人なのだ。私は、この私の家族たち(my people)が、この全ての腐敗と、ひどい教育制度と経済的な問題にも関わらず、こんなにも聡明であるということにとても驚いた。たとえ、文字が読めないエジプト人であっても、かれらは聡明で十分に教養を持っているのだ。1月25日以前には、私はこの事実を知らなかったのだ。


キリスト教徒の礼拝が始まってしばらく後、広場を取り囲む巨大なスピーカーが、賛美歌の指揮者の歌声を繰り返し反響させていた。ある人たちはキリスト教の祈りの言葉をよく知らなかったが、すぐに彼らはそれを理解した。キリスト教徒たちがイエスと彼の人々への深い哀れみについての短い引用を繰り返し唱えている時、イスラム教徒もキリスト教徒も共に並んで立ちあがっていた、国民的団結がひとつの頂点に達したのだ。彼らが歌い、祈っている間、旗が振られ、彼らがなぜ今この場所にいるのかを思い起こさせていた。ミサは終わったが、もう一つのミサが数時間の内に予定されていた。けれども、20分かその後あたりに、誰かが「今度はイスラム教徒たちの時間だ」と大声で叫び始めた。すぐさま、男性も女性もメッカの方角へと並ぶ完璧な列を作り上げ、広場にいるすべてのイスラム教徒たちが同時に祈り始め、その間、キリスト教徒達は彼らをじっと見守り、そして広場全体が静寂に包まれたのだった。この出来事は、宗教がタハリール広場の生活の大きな部分を占めることを示すものであったが、それでもこの広場での生活の決定的な部分というわけではなかった。アートは、タハリール広場での生活のもう一つの要素である。いくつかのテントは「自分たちは、歌い手や詩人といった創造的な人たちを歓迎する」と書いたサインやビラを張りつけていた。他の人達は、過去数日の血なまぐさい戦闘で使われた石を集めて、代わりにそれらを使って地面に、アートや政治的メッセージを作り出していた。また他の人々は政治家達の風刺絵を描いたり、さらには人形に仕立て上げて、街灯から吊り下げて、一つの時代の終わりを表現していた。


ここ、タハリール広場では、あなたが言わなければならないことは何であれ、耳を傾けてもらえるし、それが何の話題であってもかまわない。あなたは、隣に立っている人の肩を気軽にたたき、あなたの心の中にあるどんな事についても話すことができる。あなたは、メモ帳や準備されたスピーチを用意する必要などないし、ただ一文、一言であっても十分なのだ。一方、もしあなたがお腹がすいたり、喉が乾いたりすれば、ここには、ひもじいタハリール人たちの為に歩き回っている、大勢の食事と飲み物を売る売り子たちが大勢いるのだ。結論として、タハリールは、全エジプトの為の一つの可能な生き方について明るい前途を示す、ミニチュア版エジプト共和国へと生まれ変わった。そして、これは真実なのだ。これからしばらく後、Tahririans(タハリール人)が Tahririansであること止め、単にエジプト人であることへと戻るだろう。しかしながら、彼らが作り上げ、守り通したこのモデルは、私たちにエジプトがただ先進国への道へと首尾よく進んでいくのではなく、自発的な快活さを持って、互いに助け合うことのできる、畏敬の念に満ちた国となれることを教えてくれるのだ。だからこそ、タハリール連合共和国よ、永遠に!もしそれが永遠に現存しなくとも、そのときは、私たち自身の心の内に永遠にあり続けますように。
(訳:江上賢一郎)